とらいを全て観て思ったことは、自分の作劇に対する好みがかなりしっかり把握できたというところだろうか。
とにかくとらいは好きじゃなかった。
過去の名作がとかキャラ崩壊がとかじゃない。
もう演出が全く全然好きじゃない。
展開やキャラ、台詞、その他諸々についてはだいたいみなさんと同じようなところで同じような違和感を感じてましたので、無印と02を100回見返してくれとだけ。
6章まで観てもぶんなげられたままの出来事がこんなにあるとは思わなかったよ。
とらいを観ていると予想通りな展開が何度も出てくる。
どうせこう言うんだろう、このタイミングでこの音楽が流れるんだろう、こいつが出てきてこうなるんだろう、みたいな、観ながら思ったことがそのまま画面に出てきて嘘だろと。
めいちゃんのパスワードのくだりとか、劇場にいた観客全員が「ハイハイだんだんね」って思ったでしょ。
あの海のシーン、このあと太一さんが出てきてButter-fly流れるんでしょって思ったでしょ。
西島は太一さんをポッドに乗せて死ぬんだろって思ったでしょ。
そういうのが何回も続くのは観ていて疲れるし驚きも感動も何もない。
無。
素人が脳直で考えられる程度のものがプロの作った映画として公開されてるってとんでもねえ地獄だな
ストーリーを進めるうえで必要な展開ってあるけど、それをいかにご都合っぽくみせないかってとこが大事なわけで。
というか演出とかキャラクターとかしっかりしてればご都合っぽくは見えないんだよ。
それを隠そうとしないで突然「どーもご都合です」ってやってくるから驚きます。
女児向けなんかを観ているとありきたりな台詞やテンプレ展開がすごく響くことはよくある。
でもとらいはテンプレが響く作り方をしてないから、ただありきたりなだけになってしまっている。
演劇部の大会でキャラメルボックスの脚本使ってんのに地区落ちするへたくそ弱小校かよ
劇伴の使い方もなんか下手で、あまりに曲自体の力に頼りすぎている。
Butter-flyとかbrave heartとか、名曲なのはわかるんだけど、名曲を使ってブーストさせようとしてるのが見て取れる。
Butter-fly流しとけば満足するって思われてんだろうな。
曲に対してシーンが負けているので、劇伴としての効果が薄れているというか。
感動っぽいBGMをでかい音で流して感動的なシーンに仕上げました的な安易さ。
あとSEも雑だったなあ。
パタモンが飛んでるぽよぽよSEとか要る?このシリアスなシーンでいる?
わざと時計の針の音を流して静寂を表現するという手法もあるけど絶対そういう意図じゃない。
砲撃の音とかもただただでかいだけで迫力もあんまないし、発射と着弾の音がすげえ気になった。
ガルパンて本当に音にこだわってたんだなあ。
リズも、一瞬の心のゆがみを音で表すためにマイクの前にわざと人を通らせたとか様々な音作りに関する解説があったし。
音にこだわりがあるタイプの監督じゃなかったんだろうな。
挿入歌の新曲くらいあってもよかったのでは。
ああでもこの監督、歌や音楽で表現しようとか思ってなさそう。
じゃあ何で表現しようと思っていたんだろう。
戦闘シーン?人間模様?
モンの作画はすごかったけど、人とあまりに違いすぎていかんせん人のシーンの印象が薄すぎる。
話がよければ作画は気にならないのに。
とはいえ、話がいい作品てだいたい作画もめっちゃいいよなと最近の様々なアニメ映画を観て思う。
何度も言っているけど、とらいは台詞だけで芝居しすぎ。
演出で表せるところも全部台詞。
例えば空さんがお母さんみたいって思わせたいなら空さんの行動で示すべきであって「空さんてお母さんみたい」みたいな台詞は極力避けるべきなんだよ。
大事な言葉は言っちゃだめなんだよ。
とらいで大事な言葉を言いすぎて価値が半減しているのはもののひとつは「仲間」ですよね。
ことあるごとに俺たちは仲間だ的な発言が多い割には全然仲間らしい行動がない。
高石が顕著だったんだけど、おめこちゃんは仲間だから的なことを連呼しながら「仲間に入れてあげようとするムーブメント」するじゃないですか。
話したり輪に入るきっかけをつくってあげたりしているという行動そのものが「本当は仲間だと思っていない」ことを明らかにしている。
本当に仲間だと思っているなら「仲間に入れてあげようと気を遣う」ことはしないでしょう。
そういう違和感をぬぐえないままに台詞だけでどんどんストーリーが進んでいく。
圧倒的に「間」の演出が少ない。
というよりも、台詞で感情を全部言っちゃうから、間が効果的な演出にならない。
これ、間なのか?と思った無音で静止画みたいな放送事故ぎりぎりのシーン何回かあるんだが、あれは間ではなく無だ。
1章のときからずっと思ってたけど、とらいのキャラクターはおっさんの考えた高校生像なんだよな。
おっさんの考える青春に悩み苦しむ理想の高校生像にあてはめられた八神太一、17歳。
悩める高校生という枠組、みんなのお母さんという枠組、パソコンオタクという枠組。
そういう役割とか枠組とかテンプレにあてはめられて記号的になっているキャラクター。
私が観たかったのは「高校生になった八神太一」であって「八神太一という名の高校生」ではない。
自分が高校生だった頃の経験を反映させましたって、それは脚本家のアナタであって選ばれし子供たちではない。
役割を演ずるためだけの彼らがそこにいる意味はあったのだろうか。
ガブモンにヤマトは太一の代わりになれるなどと残酷なことを言わせたのは、ヤマトを太一の代わりの「主人公」という枠組にはめたいと考える監督の思いの表れなんでしょう。全員が主人公やぞ
ヤマトくんが宇宙飛行士になることを決意したところが一番の見所らしいですからね。そんなシーンあったっけ
あれを決意と呼ぶのか。ファンの妄想だと思っていたのに一番の見所なんですねえ
アグモンが食べ物のことしか考えていないことに関しては、パンフのキャストコメントで坂本さんが言及されてましたね。こんなに食べ物のことばっかじゃないって。
女性陣は基本的にめちゃくちゃ性格悪そうな描写されてることが多いし、そもそも女性像がゆがんではいないか。
個人的には、一番キャラクター造形がしっかりしてたのは謎の男イグ田広明だと思います。
絶対悪、嫌われるために出てきたようなキャラ。
視聴者に嫌われるような行動をしてきちんと嫌われている。
4章でマジで気持ち悪いって周囲が騒然としていたのにはテンションがあがりましたね。
嫌われキャラが嫌われるのは嫌われキャラ冥利に尽きる。
たとえ彼が全ての悪を背負わされるために登場し、何も解決しないまま退場したとしても。
これは私の注意力が散漫で5章までで全く気づかなかったんだが、イグ田広明のアバターの使い分け、現実世界ではカイザー、デジタルワールドではゲンナイなんかな。
過去作を見返す気もないから確かめられない。
そしてカイザーはどちらかといえばデジタルワールド側だな。
逆に好かれるため感情移入されるために作られたのにヘイトを集めてしまったおめこちゃん。
みんながおめこちゃんのために行動するには説得力がなかったねえ。
彼女のキャラクターがもう少し魅力的だったら違う未来があったかもしれない。
はなえくんの太一にはとうとうなじめなかったんだが、はなえくんが6章先行の舞台挨拶で、第1章の時は太一がこういう風に成長したことをどう表現したらいいか悩んだ的なコメントをしていたんですね、超うろ覚えなんですけど。
自分の思考の詳しい流れは忘れてしまったが、それをきいて私は、とらいの太一さんはあのはなのじんたんなんだと腑に落ちたんですよ。
基本的に私はある時点からの時間の流れについて、起こり得ないことはないと思っている。
だから02最終回の戦いのあと日常に戻ってから太一さんが事故にあって二度とサッカーができなくなるとか、ヤマトくんがインディーズで出したCDが売れてCDTVに出演したりだとか、語られなかった部分でそういうことがあってもおかしくないという考えがある。
1%の世界線を超えた先で、02から分岐したとらいの太一さんにも我々には預かりしれない人生があったのだなと。
太一さんのこと生きてるってみんな全然信じてくれないのはそういう次第にじんたん化していく太一さんを見てたからなんですかね。スタッフはそこまで考えてないと思うけど
おめこちゃんがなんでデジタルワールドに行けたのかに対してなんででしょうねわかりませんとか発言する監督なんで、02組がいなくなるという設定だけがあって、どうして彼らが何も知らないのかとかは「考えてない」んでしょうね。
02メンがタケヒカや太一さんたちに黙って戦いにいくのはあまりに不自然だし、行方不明にしても同じ学校だし同じマンションだし、もし本当に何も知らなかったんならあまりに薄情だ。
ていうかとらいのキャラたちはあれだけ仲間仲間連呼しといて信頼感とかないよなあ。
少なくとも八神ヒカリさんにはお兄ちゃんは生きてるって信じてほしかったよ。
とらいの八神ヒカリさんお兄ちゃんのことそんな好きじゃなさそうだから闇落ちすること自体が驚きでしたが。
5章ラストで闇落ちするほど絶望していたのに6章冒頭の「大丈夫」のあっさりさ。
「大丈夫」は大丈夫じゃないってよく言いますけどとらいは感情をすべて台詞で表現するのでこの「大丈夫」は大丈夫です
「俺を憎めばいい」「お兄ちゃんのこと許さないと思う」この台詞自体は結構すごいと思ったんですよ。
「とらいの八神ヒカリ」からしか出ない台詞。
無印02の八神ヒカリさんがこういうこと言うかは別として、この台詞を書いて出してきたということはすごいと思ったんです。
今までの流れから、この台詞が来るとは想像していなかった。たぶんとらいで一番純粋に驚いた。
でもこういう台詞って、大事な言葉は言っちゃだめなの系の脚本だと生きてくるかもしれないけど、思ったこと全部言うとらいでは台詞以外の意味がないからただの雰囲気台詞だし、無印02でのデジモンの生と死についての葛藤はなんだったんだってかんじなんですけどね。
リズで「みぞれのオーボエが好き」のあとの沈黙からの「ありがとう」という希美の台詞は「希美のフルートが好き」と言ってほしかったのに言ってくれないみぞれへのあきらめであり「No thank you」の意味があると監督がおっしゃっていたのですが、そのぐらい言外の意味がこめられた台詞であればと思わずにはいられない。
二次創作だったら事に及ぶ直前の愛のささやきの台詞だぞ。
どうでもいいが熱が出た八神ヒカリさんをタケルに看病させるのはまずいのでは。
女子中学生だぞ、せめて空さんでは。次点で医者志望の丈先輩。
気がついたヒカリちゃんを落ち着かせようとするタケルに「僕見てないよ」とミテマスヨーするパタモン氏。
全体的に6章通してギャグにしようとしてるシーンが全部スベってるというのはもう仕方ない。テンポは悪いしうすらさむいしひでえ
しかしこのシーン、このパタモンの台詞が出てくるってことは、タケヒカのつもりで描いてるってことなんですよねスタッフは。
こんなシリアスど真ん中のときに女を襲うような男だと高石は思われているんですね。
とらいのタケヒカ、露骨な「サービスシーン」として描かれているくらいだからな。
私は我が家のタケヒカを育んでいこう。
とらい、男と女の関係性、というか人間と人間の関係性を描くの、へたくそすぎない?
ラストで太一さんがおめこちゃんに電話をかけるシーンとか、いじめかと。
電話かけるのをにやにやしながらみんなで「見守る」なかよしサークル感。
しかも絶対くると思った「俺たちは仲間だ」が案の定きて打ちのめされてしまう。
俺たちは仲間だと言いながら、少し前まで一緒に戦っていた相手に電話をするのに照れたりためらったり遠慮がある。
ここでも仲間という言葉が上滑りしている。
それをにやにやしながら助け船も出さずに眺めてクスクス笑っている。
こいつらスクールカースト上位層だもんなと思ってしまった。
こんなに居心地の悪いシーンを「仲間」の表現として描けるなんて。
理想の高校生像と実際の高校時代の経験をないまぜにしてみたよで出来た作品のラストがこれなのか。
監督はああいうリア充になりたかったのか。
そういえばパンフには監督のコメントがひとつもなかったけれど、もう発言するなってことですかね。失言多かったしな
以前パンフにあすなろ白書にあこがれてたからやらせましたって書いてあったのには普通にどんびきでした。
ちなみにパンフの密度の薄さはかなり金銭的余裕のなさを感じます。
とらいは、昔からのファン、新規のファン、どこに向けているのかいまいちよくわからなかったが、しいて言うならやはり声優ファンだったんだろう。
推しが自ジャンルの新作映画に出たというのに、こんなに心躍らないなんて、自分でもびっくりだよ。
三森すずこちゃん、本当に歌がうまかったですね。大好きだよ。
すーちゃんのファンたちは離脱したのか、そもそも最初からあまりいなかったのか。
6章の先行では細谷の女たちがめちゃくちゃ多かった気がする。通ってくれてありがとうな。
細谷のこと、実は全然存じ上げないのですが、めっちゃ売れっ子なんですね。
隣にいた細谷の女さん、開幕からずっと号泣してて嗚咽が止まらないし、ヤマトくんのいいシーンでほそやん・・・!って叫んでてびっくりしたよ。上映中はお静かに。
家人に、無印02を全く知らない立場からとらいをみてどうだった?我々は原作をこじらせすぎなんだろうか?ってきいたら「いや、新規が観てもくそつまんなかったよ」って返ってきた。
我々は命を削って作劇に向き合ってきたというのに、プロはこれをそのまま出してしまうのかという絶望。
作劇に携わる者なら観客に伝わらないような細部へのこだわりをもってくれよと思うのは傲慢だろうか。
新プロジェクト、僕らのウォーゲーム 7.1chサラウンド4DX上映とかだったらいいですね!