ゆびいっぽんふれずに

センチメンタルな春情に、あたしは毎日翻弄されている。
くちづけのかわりに、吐息が風になって前髪をめくる。
愛の言葉のかわりに、目の前にお砂糖とミルクがたっぷりの甘いココアを差し出される。
「ヒカリ。」
蕩けるようにあたしを呼ぶ、その声だけで、脳がしびれてしまう。
神様はなぜ、あたしをこんなからだにつくったのかしら。
それとも、お兄ちゃんが、あたしをこんなからだにしてしまったのかしら。

たとえば、セーラー服の襟が折れているのを直してくれたり。
その直した部分をあたたかく撫でられたり。
たとえば、はずれたシャツのボタンをとめてくれたり。
慈愛に満ちたまなざしで包み込まれたり。
たとえば、夏の日差しのような笑顔がまぶしかったり。
たったそれだけのことで。
直接肌に触れられてもいないのに、あたしのこころの一番奥の、敏感でやわらかいところがピンポイントに刺激されている。
ふたりきりのときにする優しいお兄ちゃんみたいな態度は、ベッドで肉食獣のような瞳に貫かれるよりももっと、あたしを沼に導いていく。
あたしの女の心臓はどくどくと脈打ち、歩くことすらままならない。
触れることは愛情を示すひとつの手段だけど、 触れないという意志もまた、深い愛情の表れだ。
少なくとも、あたしたちにとっては。
ぎゅうぎゅうにしぼられた濃密な想いに溺れてしまいそう。
夜になったら花園のそばの泉にゆっくりと腰をおろして休みましょう。
あたしいいこで待ってるから。

Posted by 小金井サクラ