ほかほかのしあわせはシチューのにおい ただいま 僕と君がいる部屋 

チェスターコートの隙間から入ってくる風が思いの外冷たくて、マフラーを巻きなおした。
電車の中があたたかいから油断していたけど、そういえば夜はだいぶ寒いとの予報だった。
JRからゆりかもめに乗り換えるのに屋外に出ただけで、首筋から足のつまさきまで寒くなるだなんて。
ちょっと出かけるだけだと思っていたからコートの下はシャツに薄手のカーディガンで、どうにも装備が軽すぎる。
世の中を甘く見ていた数時間前の自分を呪いたい気分だ。
資料となる本を買いに大型書店まで行ったはいいものの、目的のものをただ買って帰るなんてできるわけがない。
最近は検索機があるからすぐに欲しいものが見つかるけれど、僕はブラウジングするのが好きだ。
思いもよらぬところで興味を引かれる本を見つけて、ちょっとぺらぺらめくっているだけで、気付くと数十分。
ああ、時間は有限だというのに。
でもこれは気分転換と言うかもはや趣味なので、当面やめるつもりはない。
そういうわけで予定よりもだいぶずっしりしてしまったかばんを抱え、家路を急ぐ。
もうヒカリちゃんは帰ってきているだろうか。
ぽちぽちと片手で文字を打つ。

 ごめん、丸善行ってた。今からゆりかもめに乗るよ。

そういえば、ごはん炊いておいてねって言われてたのに、研いでもいないや。
ちょっといいかげんにしてくれよ、僕。ヒカリちゃんだって仕事で疲れてるんだから。
家事は分担と決めておきながら、自分のことでいっぱいになるとすぐこれだ。
なんとか説得に説得を重ねてようやく一緒に暮らし始めたのに、こんなんじゃ愛想をつかされてしまう。
悶々としている間に返事がきていた。

 ロイズのチョコレートのアイスが食べたいな。

ああ、あのコンビニで売ってるちょっと高いやつね。
ついでにブルーベリーのアイスも買って帰ろう。
前に一度食べておいしいって言ってたやつ。
まったくなんて可愛いおねだりをするんだ。今すぐ抱きしめたい。
電車の中でにやけてしまわないように、必死で顔を引き締める。
こうやってちょっとしたわがままを言ってもらえるようになったのがうれしい。
彼女の一言で僕は一喜一憂し、どきどきするんだ、いまだに。
電車を降りたところでもう一度、ぴろんと携帯が鳴った。

 晩御飯はシチューです。

見るだけであたたかな言葉。
このひとが待っていてくれる家に帰れるなんて、僕はなんて幸せなんだろう。
コンビニでさっとアイスを買って、早足でマンションに向かう。
さっきよりも全然寒さが気にならない。
早く、ヒカリちゃんに会いたい。
部屋の前まで来ると、クリームシチューの甘いにおい。
僕はここに、彼女と住んでいる。

おかえり。
ただいま。

ドアを開けるとあたたかなしあわせが立ち込めてきた。
逃がさないようにそっとドアを閉めて、ふたりは冬を溶かすくちづけをした。

#タケヒカ版深夜の真剣お絵かき文字書き60分一本勝負
2016/1/29「冬」

Posted by 小金井サクラ